text index>"今更"
"今更"

「ブラッド、急用ってなんなの?」
 ノックの返事も待たず、急ぎ足の勢いのままドアを開けたアリスは、片足を部屋に入れたまま固まった。
「……あら、失礼」
 気まずいことに、ソファにかけたブラッドの向かいには先客がいる。
 初老の男性がすっと立ち上がり、こちらに丁重に一礼した。
「アリス様、先日はどうもありがとうございました」
 慇懃な笑顔とすきのない服装には見覚えがあったが、誰なのかまでは思い出せかった。
 ここ数日、式の準備で初対面の人に会う機会が多い。多分そのうちの誰かだったはずなのだが、とアリスは混乱する頭でなんとか思い出そうとした。さっきまで会っていたドレスメーカーでも、式のコーディネーターでもない。もちろんこの屋敷の人間でもない、はずだ。
 救いを求めてブラッドに視線を移してみたけれど、彼はそ知らぬ顔をして、面倒くさそうにカップの中身をすすっているだけだ。
 人違いをしても失礼になる。アリスは結局あいまいに笑って会釈を返すにとどめ、ブラッドに向き直った。
「忙しいのに、こんな夜中に何を思いついたの?」

 忙しい、というよりもアリスにはここ数日、身の周りで何が起こっているのか把握できていなかった。とりあえず、式自体の準備にはまったく手を触れていない。はじめに好きな色と好きな花を尋ねられただけだ。
 それでも花嫁にはこまごまとやることがある。
 結婚式一式も、舞踏会のドレスのようにブラッドがぱん、と出してくれれば楽なのに、と思ったが、どうもそうはいかないらしい。魔法で出したものは、長期保存にはむかないそうなのだ。実際舞踏会のドレスは夜が明けたと同時に元の服に戻ってしまっていた。
 結婚式に使ったものを置いておくような気恥ずかしい真似はしたくなかったし、不都合はないと思うのに周りは納得してくれない。
 誰を呼ぶのかも、返事が間に合うのかもわからない招待状にサインを繰り返したり、採寸、仮縫い、おまけにブーケを選ばされたりもした。
 さっきも半分寝たままで、首をがくがくさせながらドレスの最終仮縫いをしてきたところだ。
 普通は何ヶ月かかけてやるものを数日に押し込んでいるのだから仕方がないことだとはいえ、アリスはここ数日ベッドに入った記憶がない。今なら昼だろうが夕方だろうがかまわずに眠れそうだ。
 あまりの強行軍に、もうやめる!と何度も叫びかけたが、ブラッドはなかなかつかまらず、メイドや業者相手にそんなことを言っても彼らを困らせるだけだ。あれやこれやで屋敷中がものすごい勢いで回転している。そんな中、花嫁より時間のある花婿ときたら自分が思いついた趣向を次から次へと言いつけている、らしい。そのアイデアを実現するため、アリスと屋敷がさらなる混乱に巻き込まれているのをこの男はわかっているのかいないのか。

「まぁ、座りたまえ」
 ブラッドは立ったまま自分をを睨むアリスに、自分の隣を軽く示した。
「座ると眠っちゃいそうだわ」
 アリスは文句をいいながらも、腰を下ろした。ソファの柔らかな座り心地を感じただけで、軽く意識が飛びそうになる。すすめられてカップを手にしたが、眠すぎて香りも味もよくわからない。アリスは軽く首を振って眠気を飛ばそうとした。
「で、用はなんなの?」
「私としたことがすっかり忘れていたが」
 あごに指をあて、うんざりしたような声でブラッドが言った。
「婚約指輪がなかったな」
「……婚約指輪?」
 かなり長い沈黙の後、アリスはその単語をオウム返しに繰り返した。
 
 結婚式の前に婚約指輪を贈る。
 それはいい。その発想自体は間違ってはいない、けれど。
「何を今さら…」
「面倒だが、遅くなってもしないよりはマシだろう」 
 遅いとか遅くないとかの問題じゃない。
「そんなことより、明日の準備をしたほうがいいんじゃないの?」
 そう、結婚式は明日なのだ。
 どうして今になってこの男はこんなことを唐突に言い出すのだろう、とアリスは頭を抱えたくなった。婚約指輪をつけている暇なんてほんの数時間しかないのに。
「婚約式もできなかったが、今からではそんなことはどうやっても無理だからな」
「何も、今じゃなくてもいいでしょう?」
 言ったことが聞こえていないような返事に、声がとがっていくのが自分でもわかった。
「結婚したからといっていらなくなるものでもないだろう?それとも、私からの婚約指輪などいらないか?」
 いらないわよ!と怒鳴ろうとしてブラッドを見上げたアリスは、ふ、っと吸い込んでいた息を吐いた。

 こちらを睨みおろすブラッドの目のふちはほんのりと赤い。
 ブラッドも自分もここのところまともに寝ていない。自分の頭も彼の頭も煮えている。
 多分二人ともかなり頭がおかしくなっているはずだ。
「……ごめんなさい」 
 ブラッドに婚約指輪が必要なわけじゃない。きっと自分を喜ばせるために、と思ってくれたのだろう。その思いがあさっての方を向いてしまったのはとても残念だが。
 そもそもブラッドは目的のための過程をすっとばしすぎるところがある。おまけにこの状況だ。いきなりのことでびっくりしたとはいえ、断るには方法を間違えてしまった。ここで押し問答をしても、もう時間の無駄だろう。
 さっさと選んでしまえばいい。ブラッドに文句をいうのはそれからでいい。それよりも5分でいいから眠りたい。
 アリスは持ったままだったカップをそっとソーサーに戻した。
「見せてもらおうかしら」
 その声にあわせたように、テーブルの上にさっと黒い革のケースが現れた。
 そのときになってやっと思い出した。先客は結婚指輪を注文した宝飾店の主人だ。

「適当に見繕わせたが、やはりアリスが選んだほうがいいだろう?」
 何事もなかったように、手袋をはめた手がパチリと掛け金を外す。
 アリスは浅く座り直した。
「矢でも鉄砲でも持ってくるがいいわ」
 やけくそ半分で呟くと、ブラッドはつまらなさそうに脚を組み替えた。
「残念ながら、用意しているのは指輪だけだがね」
 そう言いながらブラッドはケースを開けた。中に目をやったアリスは思わず息を呑んだ。
 ぎゅうぎゅうに並べられた指輪は色石が入っているせいか、結婚指輪とは違う輝きに目を奪われる。黄色や紫の石がないあたり、いきあたりばったりではなさそうだし品質も悪くない。ただ、百を超える数ときらきらと大きすぎる石たちは、眺めているうちにガラス玉にしか見えなくなってくる。
 ――ただ、真ん中のひとつをのぞいては。

「…はかったわね、ブラッド」
 アリスの眉がつりあがった。
 真ん中の指輪だけは、これでもか、とばかりに大きなダイヤの周りにごてごてと色石がちりばめられている趣味の悪い代物だった。
 先日、結婚指輪を迷いに迷って結局選べなかったアリスは、ケースの真ん中に入っていたものにしたのだ。ただ真ん中にあったという、それだけの理由で。どれもエレガントで上質ながら、似たり寄ったりのものだったし、別に悪いことには思えなかったが、ブラッドにはどうもその適当さが気にくわなかったようだ。
 面倒だ面倒だと二言目には言うくせに、アリスのこととなると手抜きは許せないらしい。
「結婚指輪のこと、根に持っているのね」
「私は悪党で成金だぞ、どんな派手な指輪を贈ってもかまわないと思わないか?」
 ブラッドはにやにやとその指輪を取り上げ、こちらに振って見せた。
「そんな偏見に素直に従うなんて、それこそ悪党らしくないわ」
「使えるものは使うまでさ。何が悪いのかわからんな」
 一応他人の前だから、お互い声はひそめていたが、知らない間に声が大きくなってしまっている。ちらっと向かいに目をやれば、さすが相手ははプロだ。聞こえているだろうに、何も聞こえない顔をしてカバンの中にさりげなく目をやっている。
「……あなたは悪趣味ね」
「そうだな」
 その言葉にこめられた皮肉に気がついて、アリスの頬に血が上った。
「あら、あなたの趣味が良くても私は困らないのよ」
 そう反論すれば、ブラッドはなだめるようにそっと肩に触れてきた。その手を軽く体をよじって外す。
「私は謙虚な男なんだ…今あるもので満足するさ」
「馬鹿にされているようにしか聞こえないわ」
「そんなことはないさ。私は君に満足しているんだ、たいそうね」
 ブラッドの諦めない手が、今度は腰に回される。耳もとで囁かれ、背筋がぞくぞくした。だけど、こんなありきたりな口説き文句でなだめられるのも口惜しい。
「……こんな指輪をつけた拳で殴ったらさぞ痛いでしょうね」
 アリスは、ブラッドだけに聞こえるように囁きかえした。
「本気か?」
 ぎょっとしたブラッドがまじまじとこちらを凝視する。
「ええ、本気よ」
 そっと拳を握ってみせると、ブラッドは指輪をさりげなく元の位置に戻した。
「……もう少し、控えめなものの方が良いかもしれないな。これは君には派手すぎる」
 アリスは小さな勝利の味をかみしめながら、指輪の上にかがみこんだ。

「綺麗すぎるわ…」
 ソファに寝そべったアリスは、左手の薬指にはまった指輪を眺めた。
 あれからなんだかんだで結局決めきれず、ブラッドが選んだそれは、ゴージャスすぎて今の自分には正直言ってなじまない。きらめく青い光は、ブラッドに言わせれば「君の目の色だ」そうだが、睡眠不足で充血した目は残念ながらこんなに澄んでいない。
 けれど、もう抵抗する気もうせていた。別に片意地を張るほど気にいらないわけではなく、むしろ好みのデザインだったせいもある。
 ──それから、「君の目の色だ」というくさいセリフに、ばかばかしいと思いながらも、不覚にもときめいてしまったせいでも、ある。
「どうして勝手に決めちゃうのかしら、あのわがまま男!」
 と半分本気で罵ってみても、なんとなく頬がゆるんでくるのが止められない。寝不足だかなんだかでイカれたのは、どうやらブラッドだけではないらしい。 
 アリスは眠りに引き込まれながら、小さく笑った。
 
 翌日、その指輪は寝不足でむくんだ花嫁の指からなかなか抜けてくれなかった。
 手を尽くして抜いたそれを、ブラッドは腹立ちまぎれに部屋の隅に思い切り放り投げ──そして喧嘩のタネになるとは二人ともまだ知らない。


update : 07.12.09
text