ドアを開けた途端、乾いた花の香りがふわりと鼻をついた。
アンジェリークの部屋には、遅い午後の柔らかい光が射しこんでいる。
「何をしてるの?」
アンジェリークは部屋の中央に置かれた大きなテーブルの上を道具で一杯にして何やら奮闘中だ。
「ルネさん!」
手を止め、こちらに来ようとするのを制して、テーブルに近づく。テーブルの上には乳鉢やガラス瓶が並び、乾いた花や葉がそれぞれ小皿に取り分けられている。
かいがいしく腕まくりしたアンジェリークが手にしているボウルの中には──
「サシェの中身?」
「ええ、前に作ってから、ちょっと間があいてしまったでしょう? 香りが薄くなってきちゃって」
アンジェリークはふさがってしまっている手の代わりに、小さく肩をすくめる。
あれから教えてもらったサシェの作り方をアンジェリークはいつの間にかマスターしていた。
今では他にもいろいろ作っているらしい。
自分がたじろぐほどの多忙の中、この細い体のどこにそんなエネルギーが、と思うほどアンジェリークは毎日くるくると動き回っている。
それを見ているのもまた楽しくて、無理はさせないように、と注意しながら、つい止められないでいた。
「ルネさんのは、もうできてますよ」
視線の先、ガラス瓶を開けてみる。ふんわりと混ぜられた中身からはまだ馴染んでいない、角がある香りがした。けれど確かに自分のサシェの香りに違いない。
「また送ってくださるでしょう? だから、少しだけですけど」
アンジェリークは、自分のものらしいポプリを調合中だ。
乾かしても深い赤が残っている花びらは、故郷のものだと言う。
「ポプリを作るって言ったら、おばさんがいろいろ送ってくれたんです」
花びらを手のひらに軽くすくいながら、アンジェリークは懐かしそうに微笑んだ。
その他にも並ぶ、自分のものとは違う材料に興味がわいた。
「これは?」
柑橘系の香りがする白っぽい緑の葉を摘み上げて尋ねる。
「それは……レモンバーベナです」
ルネの指先を確認して、アンジェが答えた。
「これは?」
青い匂いのする、淡い黄色のものは…これは何だろうか。
「オリスルートです。ほら、ルネさんのには香りを留めるのに乳香を使うでしょう?私のには、それを使うんですよ」
ほかのものに比べれば香りだちが悪いけれど、褪せた青が上品な花びらの皿に触れた。
「じゃあ、これは?」
返事が無い。
「……これは?」
やはり返事はない。
「アンジェリーク?」
「あの、それは……」
もしかして。
まさか。
「ルネさんがくれた、お花なんです」
頬を染めて、消え入りそうな声でアンジェリークはつぶやいた。
──やられた。
自分の頬にも血が上るのを感じながら、ルネはその花びらをわけもなく指先でかき混ぜた。
本当は、彼女の忘れものではなかった。名前を告げることを忘れていたのは、自分のほうだ。
女王の卵かもしれない少女の思いがけない可憐さに、そんなことなどすっかり忘れてしまっていた。
また会えるきっかけが出来たのは正直嬉しかったけれど。そのときはまだ、教団長に対して、でない彼女と会う必要があるから、なんてことを考えていた気がする。
教団長として会えば、見えないこともあるから、と。
女王の卵のことを知りたいだけだ、と。
謎かけへの興味ががあったにせよ、聖地まで来てお礼は言われたのだし、多少は喜んでくれたのだろうとは思っていた。
けれど、あのとき花束を選んだのは単なる気まぐれにすぎなかった。
彼女がどんなものが好きかなんて知りはしない。
甘いものなんかはきっと好きだろうけれど、何かしっくりこない。あまりに高価なものを贈っても、びっくりさせるだけだろう。
だから、高価すぎないけれど、自分で買うことのないようなもの。
アンジェリークがここに足を向けるような気にさせるもの。
……そして、うまくいかなかったときには、何も残らないものを。
考えあぐねたあげく、ありきたりな花束にしたのに。
あてもなく待っていたあの時間にはその思いつきに感謝したものだけれど。
沈黙をどうとったのか、アンジェリークがおずおずとつけくわえた。
「すごく、嬉しかったんです。……それに、次はいつ会えるのかわからなかったし」
……いつだって正直なキミは、ボクの心臓に悪い。
今自分はどんな顔をしているだろう。
キミもボクに会いたいと、あのとき少しでもそう思ってくれていたのだと、うぬぼれてしまってもいいのだろうか?
「そんなに、僕のことが気になってたの?」
今にも笑ってしまいそうな顔に気をつけながら、わざと尋ねてみる。
「知りません」
からかわれたのだと思ったらしいアンジェリークが唇を軽くとがらせる。
その仕草ですらどうしようもなく愛しくて、引き寄せる。
かしゃん、と派手な音がして、ボウルがアンジェリークの手から落ちた。