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kiss&kiss



 昼さがりから、聖都周辺は雪になった。
 湿って重い雪片がちらちらと舞い始めたと思えばすぐに本降りになり、地面は瞬く間に白く染まった。
 アンジェリークはその日、セレスティザム郊外の養老院へ出かけていた。雪につかまったのはその帰り道でのことだったが、出かける前にルネから「きっと雪になるよ」と聞いていたので、さほど難儀なことにはならずにすんだ。
「教団長にお礼を言わなくてはいけないですね」
 聖都の門で傘をたたんだアンジェリークは、出迎えの騎士に言った。
「そうですね。でも先に温まれますよう。もう支度はしてあるそうですから」
 髪に絡んだ雪のかけらを、「失礼します」と払ってくれながら騎士は笑った。
 他意はなかっただろうその笑顔になぜか見透かれたようで、恥ずかしくなったアンジェリークは足をはやめて自室に向かった。
 
 結局ルネに会いに行けたのは、夕刻をかなり過ぎてからだった。
 部屋に戻ればメイドたちに大騒ぎで風呂に入らされ、温かい飲み物やらなにやらを宛がわれた。雪に降られるなんて珍しくもないのに、と思いながら、それでもされるがままになっているうちに、いつしかうたたねまでしてしまっていた。
 このままでは、明日になってしまう。
 急いで執務室まで行ってみた。が、教団長はもうお部屋にお戻りですよという秘書の言葉に、ルネの私室まで来てみたものの。
「ルネさん?」
 ドアは薄く開いているのに、返事はない。それでも一応はノックしてみる。やはり返事はない。
 マナー違反だと思いながらも、ドアの隙間から室内をそっと覗いてみた。ソファにルネらしい人影が見える。
 「ルネさん?」
 呼ぶ声を少し大きくして近づいたアンジェリークは、慌てて口をつぐんだ。
 ルネは、ソファの肘掛にほおづえをついて眠っていた。

 教団長服のまま、ソファにもたれているルネは普段とは違って見えた。
 青い瞳が隠れているだけで、とても淡淡しく感じるのは白ずくめの服のせいだろうか。いつもの大人びた表情もなく無心に眠るルネは、どこか人形めいていた。
 頬のあたりが見慣れた輪郭よりも薄く削げているような気がする。少し痩せたのかもしれない。閉じられた目の周りの皮膚がうっすらくすんでいる。
 ──疲れているんだわ。
 忙しい日々が続いていた。最近はこんなにじっくり顔を見る暇すらなかった。
 アンジェリークの前では──多分誰の前でも、ルネはそんなことは一言も言わないけれど。
 胸が痛んだ。忙しいのはアンジェリークのせいでもある。アンジェリークには女王としてどうするべきなのか、具体的なことはまだわからない。周囲も女王が存在する、ということが本当はどういうことかを理解してはいない。その間を調整することに、ルネは忙殺されているのだ。
 思わずルネをぎゅっと抱きしめたくなったが、そんなことをしては起こしてしまうだろう。アンジェリークは、ルネの膝に散った書類をどけ、そっとひざ掛けをルネの上に広げた。

 今日のお礼は、明日にしよう。
 もう一度ルネにかがみこみ、頬にかかった金色の髪をそっと指先で払う。透き通るような見た目とはうらはらに、頬はほんのりとあたたかい。
「──ありがとう、ルネさん」
 その頬に唇で触れたのは、自分でも思いがけない衝動的な行動だった。
 アンジェリークは思わず片手で唇を押さえた。
 何をしちゃったんだろう。
 でも、これはありがとう、のキスだから。そう、感謝。感謝のキスだから。
 フルスピードで自分に言い訳をしながら、ともかく早く出て行かないと、とアンジェリークはぎくしゃくと踵を返した。

「もう、帰っちゃうんだ」
 はっと見下ろす。青い瞳が悪戯っぽく見上げていた。
「ルネさん! 起こしちゃいましたか」
 脈が速くなる。
 ルネが今の出来事に気づいていませんようにと内心で祈りながら尋ねれば、
「ううん、起きてたよ」
 面白そうな声音にアンジェリークは息を呑んだ。
「いつから……?」
「いつだと思う?」
 ルネは口許に手をやって首を傾げ、くすっと笑う。
「も、もしかして、寝たふりしてたんですか?」
「さあね。かわいいキス泥棒さん」
 一瞬にして頬にかぁっと血がのぼる。
 あのとき、ルネは目を覚ましていたのだ。恥ずかしさで、床に崩れてしまいそうだった。
「……ごめんなさい」
「やだな、謝るの? じゃあ、キミは悪いことしたって思ってるんだ?」
「……えっ、あの、それは」
「それなら、ボクからもキスさせてくれたら許してあげる」
 とっさに後ずさろうとしたアンジェリークの袖を捕らえたまま、ルネは言葉を継ぐ。
「ダメって言ってもしちゃうけど。どっちがいい? 選ばせてあげるよ」
 ルネはすっと立ち上がり、アンジェリークの頬に触れた。覗き込む瞳の空色が、銀色にかわる。
「ね、どうする?」
「……それってひどくありませんか? ルネさんだって寝たふりをしてたのに」
「キスをするのはひどいこと? 悲しいことを言うね。……もし、もう一度キスしてくれたら、こんなところじゃなくってちゃんとベッドで眠るんだけど」
「そんな」
 至近距離で見つめられて、うまく言葉が出ない。口ごもるアンジェリークに、ルネはじれったそうな視線を投げてきた。
「しょうがないね、今日のところはボクがしてあげる」
 ぼやいたルネがアンジェリークを引き寄せるよりも早く、アンジェリークはルネの唇に唇を軽く重ねていた。
「……これで、ちゃんと眠ってくれますか?」
 呆然と立ちつくしたルネの肩に熱い頬を預けて、アンジェリークは囁いた。
 
update : 08.02.01
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