「俺が死んでから、もう二年になるんだね」
昼食後、長椅子の上でだらりと寝そべっていた孟徳が感慨深げに言った。
「ねえ、花ちゃん」
ちょいちょい、と指先で招かれて歩み寄ると、すばやく腿に腕を回されて引き寄せられる。
「危ないですよ」
バランスを崩しそうになった花が文句を言うと、孟徳はごめんごめん、とまるで気持ちのこもっていない謝罪を口にしながら、膝に頬をこすりつけてきた。
大きな猫のようなしぐさに思わず頬が緩む。
こんなに大人で長身のひとなのに、どうしてかわいらしいと思ってしまうんだろう。衝動のままに中腰になって頭を撫でてみると、孟徳は幸せそうに目を細めた。もしも猫ならばきっと全開でのどを鳴らしているに違いない。
「ほんと、死んでよかった」
そのまま長椅子に引きずりこまれそうになる。べたべたと絡んでくる腕をなんとか引きはがそうと後じさると、孟徳は誘うように甘い声を出した。
「だめ?」
「……暑いです」
真夏の昼間だ。この地方は湿度が低いせいか、まとわりつくような蒸し暑さはないが、それでもじっとしていても首筋を伝って流れる汗はやはり不快だった。
「汗なんてすぐに気にならなくなるよ」
かわいいなんて撤回だ。こんな時間に孟徳の誘いにのったが最後、今日は晩ごはんどころではなくなるのは確実だ。
「だめですよ。まだまだやることもありますし」
夜まで我慢してください、と花は孟徳の鼻を軽くつまんだ。
「わかったよ」
孟徳はふにゃりと笑い、花の手を捕まえて音を立てて口づけた。
「じゃあ俺は昼寝でもしようかな」
やっと諦めたのか、孟徳は長椅子の上でごそごそと体勢を整え、目を閉じた。
「おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
孟徳は目を閉じたまま手を振ってみせた。
突然の死であった、と記録には残されているだろう。
重い頭痛に悩まされていたのは知るひとぞ知ることだったものの、他にこれといった持病もなかった孟徳の死は国中に衝撃を与えた。
死因が不明なのはこの時代ではごく普通のことだが、それでも孟徳の年齢を考えると死ぬには早い。少なくとも天寿を全うしたとは言えなかった。
祟りや呪い、はてはひそかに暗殺されたなど、孟徳の死因にはさまざまな噂や憶測が飛びかったが、本人はひそかにそれを楽しんでいるふうでさえあった。
噂では花も容疑者のひとりだ。玄徳軍から来た若い寵姫が毒を盛ったのかもしれない、というのがそれだ。どうやら花が葬儀の後、何も持たずひとり許都を去ったことで噂の信憑性がさらに増したらしい。
花がその噂に憤慨すると、孟徳は笑った。
「だから腹上死でいいって言ったのに」
「それはちょっといろいろと困ります!」
そんなことを死因にされたら、孟徳の葬儀の間にどれだけ恥ずかしい思いをするかしれない。きっと公式な記録にだって残るはずだ。
「俺は命の限りかわいがるくらいに君のことを愛してたんだって、いつまでも語り継がれるのもなかなかだと思わない?」
語り継ぐだなんてとんでもない。
「なかなか、じゃありません。それに孟徳さんはそんなことで死ぬようなお年寄りじゃないでしょう?」
そう答えると、孟徳は一瞬あっけにとられた顔をしたがすぐに嬉しそうに頬をゆるめた。
「だけど、死人になってみるのもおもしろいものだね。外から見て初めてわかることもあるし」
「そうかもしれませんね」
花の知る孟徳は、いつも大きな渦の真ん中にいるようだった。あの頃の孟徳には世界はいったいどんなふうに見えていたのだろう。
「孟徳がいなくても世界は回るものだな」
葬儀の席で元譲がぼそっと言ったことを思い出す。