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きれないものは

(もういいかな?)
 しばらく待ってから花は立ち上がった。忍び足で近づいたのは、寝台ではなく自分の物が入っている戸棚だ。豪奢な彫刻が施されている扉をそうっと開けると、手前に置いてある物をどかし、その奥から質素な麻布の包みをひっぱり出した。
 二十センチほどの棒状の包みを手に、花はさっき座っていたところまで引き返す。
 やっとここまできた。
 ここ数日、花はこれを使うチャンスをひたすら待っていた。
 もしかしたら早すぎるかもしれないという不安はあった。もう何日か待てばさらなる好機が来るような気もする。ただでさえ、今日は昼食が遅かったせいで、昼寝と言ってもそれほど長くは時間を稼げないはずだ。
 だが、花にはもうこれ以上我慢できなかった。
 花は急いで布を取り払い、中身をむき出しにした。
 乾いた木の感触と、それ特有の重みが手に心地よく感じられる。
(やっとここまで来た)
 花は慎重に小刀の鞘を払った。
「すごい……」
 感嘆が声になってこぼれた。
 よく切れる物を、と頼んだのは自分だったが、これほどまでだとは予想していなかった。細い刃は鋭く研がれ、ぬめって見えるほどだ。確か気持ちよく切れそうだ、と花は嬉しくなった。
 用意していた布を急いで広げる。孟徳がくれた美しい着物を汚す気はない。
 閉まった扉の向こうにひとの気配がないことをもう一度確かめ、花は小刀を手に取った。

(中略)

 孟徳はあっさりと言った。
「くせがあるからさ、放っておくとひどいことになるしね」
 忌々しそうに言う孟徳は、花の髪に指を絡ませた。
「君みたいに素直な髪だったらいいのに」
「そんな孟徳さん、想像できないです」
 ぺしょんとした髪の孟徳を思い浮かべようとしたが、どうにもうまくいかない。以前ふたりで町へ出た時はまとめていたが、それでもまっすぐ、というイメージはなかったような気がする。
「素直な髪って、例えば雲長さんみたいな感じでしょうか?」
「花ちゃんはああいうのが好き?」
「好きって言うより、うらやましいです」
 あそこまで艶やかな黒髪の持ち主は、女でもなかなかいない。
「今度俺のを切る時は、君に頼もうかな」
「いいですよ。でも失敗したら大変かも」
 自分とは違って、孟徳は多くのひとから見られる身だ。
「大変なんかじゃないよ。誰も何も言わないから。それより、俺が今失敗したらどうする?」
「ちょっとくらいなら結んでごまかしちゃいます」
「じゃあ、結べないくらい失敗したら?」
「うーん、それはちょっと……」
 結べないくらいの失敗はどんなものか正直考えたくないような気がする。
「何かかぶる、とかしばらくひとに見られないようにする、とか」
「それはいいね」
 孟徳はうきうきした声を出した。
「君がここから出られなくなるくらいの髪型にしちゃおうか」
「孟徳さん!」
 花は慌てて振り向いた。
「冗談だよ」
 孟徳は笑ったが、その冗談の中にいくらかの本気が混ざっていたように聞こえたのは気のせいではない。
update : 13.02.06
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