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こぼれる

 腕の内側には小さな鬱血がある。たぶん夜着から見えない部分にはもっとあるだろう。ふだんは気をつけているのだが、肌を吸われるかすかな痛みにすら鮮やかに反応する姿につい我を忘れてしまった。
 花は肌に跡を残されるのを嫌がる。
 使用人に身支度を手伝わせる時に見られるのが恥ずかしいらしい。公瑾に抱かれた後は、なるべく人の手を借りずに身じまいしようとする。つまり朝の着替えは基本的に自分で、ということになっている。
 公瑾も、花のしどけないところや自分の執着の跡を他人の目にさらしたいわけではない。あえて反対はしなかった。
 だが、ゆうべのことを思えば、今朝はひとりで体を清めて着替えるのも大変だろう。
 ううん、とかすれた唸り声が聞こえた。
 とうとう目を覚ます気になったらしい。
 公瑾は立ち上がり、薄く目を開いた花に声をかけた。
「おはようございます」
「……おはようございます」
 律儀に挨拶を返した花は、まだちゃんと目覚めてはいないようだ。
「公瑾さん、ですか」


(中略)
「公瑾さんに話があるんです」
 戸口から一歩入るなり、花は緊張したおももちで口を開いた。
 やはりそうなるのか。
 公瑾は苦い思いを噛み殺しながら、花の背に触れた。
「もう少し中へどうぞ。そこでは話が外に聞こえてしまいますよ」
 重ねてそう勧めると、花はぎこちなく数歩だけ進む。
 公瑾はその背中で戸を閉めた。できれば鍵をかけたいのをこらえて振り向く。
「外は雨のようですね」
「……はい」
 よほど思いつめたのだろう。花の顔色は着ている寝間着のように白かった。廊下に雨が吹き込んでいたのか、足元が濡れている。いつもならすぐに乾かしてやるところだが、今の公瑾にはそうすることができなかった。
「どうしたのですか? こんなに遅くに」
「すみません」
「謝って欲しいのではありません。なぜかと聞いているのです」
 その問いが自分の首を絞めるものだと気づいた時には、花はもう話し始めていた。
「あの、話があって」
「明日ではいけませんか? もう夜も遅いですし」
 公瑾は慌ててさえぎった。
 別れの言葉など聞きたくなかった。

update : 11.08.21
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