text index>みそかごと
みそかごと

 風がひとすじ、窓から流れ込んできた。
 ふと顔を上げた花は、窓の外に目をやった。
 夏の日がそっと暮れはじめている。心なしか風もほんのり涼しい。先ほどまでは目に痛いほど鮮やかだった緑も柔らかさを取り戻しているように見えた。
 夏ももうすぐ半ばを過ぎる。
 赤く染まっていく庭をしばらく眺め、花は文字の上に視線を戻した。昼過ぎに読み始めた場所からはさほど進んでいない。
 侍女たちは日ごろから花が根をつめすぎないように、と心を配ってくれているが、今日はじっと字を追うのもおっくうで、ただ字面をぼんやり眺めていることのほうが多かった。
「奥方様、そろそろ夕餉になさいませんか?」
 年かさの侍女が控えめに声をかけてきた。
「はい」
 机から離れれば、すでに手洗い用の盥をささげ持った侍女が花を待ちかまえている。良い香りの花びらが浮いた水で手を清め、うながされるまま夕食の膳についた花は、いつものため息が出そうになるのをやっとのことでこらえた。
 卓にはずらりと料理が並んでいた。
 主食だけでも数種類、蒸した米や具の入った粥、蒸しパンのようなものまである。すべてが小さく美々しく調えられているが、こうまで種類が多いとやはりひとり分には余る量になる。
「おいしそうですね。……いただきます」
 そう言ったものの、花の箸はなかなか進まなかった。一日部屋の中で座っていたせいで、空腹をまったく感じないのだ。自分のためだけにかわいらしく盛りつけられた料理を前に、花の気は重くなるばかりだった。
 これでも食事を減らして欲しいと何度も頼んだ結果なのだが、見ているだけでおなかがいっぱいになってしまう。結局、粥と野菜の煮物を少しずつ口に運んだところで、花はもう何も欲しくなくなった。
「奥方様、せめてもうひと口でもお召し上がりになりませんと……。それとも何かお口に合わないものでもございましたか?」
 箸を置いた花を侍女がやんわりととがめた。
 こう言われるのももう何度目だろう。

(中略)
「それよりさ、花ちゃん。今日はここで寝てもいい?」
「ここで、ですか?」
 花の目が丸くなる。断りの言葉が聞こえる前に孟徳はさりげなくつけくわえた。
「なんだか頭が痛くてさ。さっきここに来た時も、歩くたびに頭に響いててちょっと嫌な感じなんだよね」
 少し大げさに言うと、花は心配そうに立ち上がった。
「大丈夫ですか? お薬を持ってきましょうか?」
「いいよ。ゆっくりしていれば治まってくるし。君がそばにいてくれるほうが、薬なんかよりよっぽど効くから。……今日は大変な一日だったから、ちょっとだけ君に甘えたい」
 だからここにいさせて、と頼めば、優しい花はもう断れない。案の定、花はためらいを残しながらうなずいた。
「本当にお薬とかはいらないんですね?」
「うん」

(中略)

「ここにいたんだね。……探したよ」
 孟徳は荒い呼吸を整えながら声をかけた。
 武将の言ったとおり、花は彼女の部屋からいくぶん離れた庭のひとつにいた。
「孟徳さん。もしかして探しに来てくれたんですか?」
 花はいたずらを見つかった子どものように気まずげな顔をした。
「宴があったんでしょう? ごめんなさい。すぐに帰るつもりだったんですけど」
「もう終わったから大丈夫だよ」
 と言いつつ、孟徳は花の隣に立つ影に話しかけた。
「だが文若、どうしてお前がここにいる?」


というわけで文若も出てきます。
update : 11.08.09
text