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落花流水


 ──考え出すときりがない。
 公瑾はそっとこめかみを押さえた。
「公瑾さん、大丈夫ですか?」
 いつの間にか戻ってきていた花が、心配そうに見上げている。
「ええ、なんでもありませんよ。それより涙をふきなさい」
 公瑾は花に手巾を手渡した。
「ありがとうございます。……もう出発なんですって」
「言わなくても大丈夫だと思いますけど、この子のこと、よろしくお願いしますね、公瑾殿」
「ええ」
 花の横に立つ勝ち気な瞳に、公瑾はにっこりとうけあった。
「寂しくなりますね」
 遠ざかっていく一団を見送りながら、花は誰に言うともなく言った。
「また会えるでしょう。同盟軍なのですから」
「そうですね。──いつか会いに行けたらいいな」
 素直な言葉だったが、それだけに公瑾はどきりとさせられた。
「誰かにお会いになりたいのですか?」
「向こうでいた時間も長かったですし、お世話になった方もたくさんいますし。なんだか懐かしくなっちゃって」
「そうですか」
 懐かしむ表情が甘い。
「ではなぜ、帰らないのですか?」
 公瑾はとがった気持ちを思わず口に出してしまった。
「え?」
「そんなに会いたいのでしたら、どうして帰らないのかと聞いているのです」
 花が急に態度を硬くした公瑾を不思議そうに見た。
「だって、私は」
「結局あなたは玄徳軍の方なのでしょうね」
「違います。……公瑾さん、どうしたんですか?」
 だが、公瑾は止まれなかった。
「私のことは、あの時の勢いで言ってしまっただけなんでしょう? それを真にうけた私が馬鹿でした」
「何か怒っているんですか?」
「怒ってなどいませんよ」

(中略)

 公瑾は琵琶を弾く手を止めて、星空を見上げた。
 雲ひとつない夜空には満天の星が瞬いていた。星はしばらくの晴天を歌っている。雨はまだないようだ。
 花はどうしているだろうか。
 ふと浮かんだ思いに、公瑾は苦く笑った。
 まだ会うこともできていない自分が、どうしているかなどとはおこがましい。
 花に会うのが怖かった。
 わからないことだらけだ。命を投げ捨てるようなことを言った理由も、公瑾をどう思っているのか。
 助けに行ったとして、必要ないとでも言われたら、自分がどんなことをしてしまうのかも。
 今すぐ降ればいいのに、と公瑾は星を呪った。祈祷の前に雨が降れば、すぐにも花は解放されるのに。
「公瑾?」
「公瑾、いるんでしょ?」
 その時、暗い庭の植え込みから、ふたつの影がひょこっと飛び出してきた。
「花ちゃんは大丈夫なの?」
「こんな夜遅くに出歩いてはいけませんよ」
 問いには答えず、公瑾はふたりを戒めた。
「だって公瑾、昼間はいなかったし」
「明日だっているかわかんないし」
 大喬と小喬は口をそろえて抗議する。
「すみません。ですが、留守にしたものですから、仕事がたまっていましてね」
「ふうん」
 大喬が疑わしそうに公瑾を見上げた。
「あのさ、花ちゃんのことなんだけど」
「なんでしょう?」
「いつ助けに行くの? 花ちゃん、平気って言ってるけど、ちょっと痩せたでしょ? なんだか最近、あんまり食べてないみたいだしさ」
「大丈夫ですよ。本人も平気だと言っているのでしょう? 大事な捧げ物ですから、死なせるようなことはしないでしょうし」
「ねぇ。もしかして」
 小喬が公瑾のひざに小さな手を置いた。
「公瑾、まだ花ちゃんに会いに行ってないんでしょ」
 図星をつかれて、公瑾の言葉が詰まった。
「……行っても会わせてはもらえないのでしょう?」
「違う! そういうことじゃないでしょ」
 大喬は地団太を踏んだ。
「公瑾は花ちゃんが死んでもいいの?」
「そんなことは思っておりませんよ。ですが花殿は私などのことを、待っているでしょうか」
「公瑾!」
 ああもう、と大喬がばちをつかんだ手をぱしり、と叩いた。

(中略)

「……ありえない話ではないと、思いました」
「どうしてですか?」
 信じられない。
「あなたは私を好きだと言ってくれました。ですが、好きな人と添うことだけが幸せでないこともあるでしょう」
「覚えてないんですか? 私は公瑾さんと一緒にいるためだけにここに残ったんですよ」
「忘れるわけはありません。ですが、私などより他の方に嫁がれたほうがあなたのために」
 話しているうちに花はだんだん悲しくなってきた。
 公瑾は何が言いたいのだろう。花の幸せのためと言いながら、なんだか手を離したがっているみたいだ。
「公瑾さんは、私にそうして欲しいと思ったんですね?」
 公瑾ははっと目を見開いた。
「私が、公瑾さん以外の人を選べるって思ったんですね?」
「いえ」
 のどが詰まったような声だった。
「公瑾さんがさっきから言っているのは、そういうことじゃないですか」
「そうではありません。──いえ、そうなのかもしれません」
「ひどい、です。勝手に人の気持ちを想像して、勝手に諦めて」
 花はあふれる涙を抑えることをやめた。抑えたってどうせ止まらない。
「私は他の誰よりも、公瑾さんのことが好きだからここに残ったのに」
「お願いですから、泣かないでください」
 格子をつかんだ指に、公瑾の指が触れた。
「公瑾さんも私が好きだって言ったのに。ここにいろって言ったのは公瑾さんなのに」
 最後は泣き声になってしまった。外に聞こえるかもしれないとは思ったが、もうどうでもよかった。