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約束のカケラ
「で、先週言ってた用ってなんだよ」
 ロシュは背もたれに肘をついて、ベルナールを下からのぞきこんだ。
「外で話さないか? 朝もまだなんだ。君は?」
 メモから目を放さないまま、ベルナールは答えた。
「オレもまだ」
「じゃあもう少しだけ待ってくれ」
 そう言われて、ロシュは編集室の中を見回した。タイプライターのかしましい響きとインクの匂いが漂い、人はばたばたと出入りする。アルカディア中の最新情報が集まるところにふさわしいにぎやかさをロシュは気にいっていた。
「よし、急ぎはないみたいだ。……じゃ、行こうか」
 顔を上げたベルナールはデスクの鍵を開け、茶封筒をひとつ取り出した。
 あまり人に聞かれたくない類の話なんだろうか。
 ──今回もいい稼ぎになりそうだ。
 先に立つベルナールを追うロシュの足取りは軽かった。
「正直、どこから手をつけていいのか迷ってたりするんだけどね」
 注文したものがテーブルの上に揃うまで待ってから、ベルナールは口火を切った。
 ここは最近ウォードン・タイムズの近くにオープンしたカフェだ。
 朝には遅く、昼には早い中途半端な時間のカフェは、ほどほどに空いている。ウェイトレスが耳を澄ます暇があるほどではないが、テーブルは埋まっていない。
 ロシュはコーヒーを一口飲んで眉をしかめた。
 濃いコーヒーは嫌いではないが、これは濃すぎだ。おまけになんだか泥水に似た味がする。
「そんなんで大丈夫かよ。つまんない話でも料金はきっちり取るぜ?」
 もう一口飲んでブラックを諦め、ミルクピッチャーから盛大にミルクを注ぐ。カフェオレ色になったところで味見をしたが、多少のミルクではあまり効果はないようだ。
「世の中にそっくりな人間は何人かいると言うじゃないか」
 縁ぎりぎりまでミルクを注いだところで、なんとか飲める味になった。
「ま、確かに似てるってこともあるけど、だいたい似てないんだよな」
 同じように眉をしかめたベルナールがミルクピッチャーに手を伸ばし、空っぽのそれに一瞬情けない顔をする。
「亡くなったはずの人が生きている、と聞けば君はどう思う?」
「死んだら生きてるわけないだろ? それこそ他人の空似、ってやつじゃん?」
 否定的な答えを返しながら、それでもロシュの頭の中はフル回転していた。


(略)


 向こうからやってくる人影に、鼓動が速くなる。
「アンジェリーク!」
 呼ぶ声がする。
 歩み寄るアンジェリークに、ロシュは大げさに両腕を広げた。
「あの、ロシュ?」
 ロシュの腕が届かない位置で、アンジェリークはもう一度立ち止まった。
「どうかした?」
 ロシュは腕を広げたまま答えた。
「ここがどこかわかる?」
「カルディナ大学だろ?」
「そう、学校の中なの」
 多少遅くなったとはいえ、大学の中だ。まだ人は残っているし、実際立ち止まっている二人の横を通っていく人もいる。
「だからちょっと、こういうのは……恥ずかしくて」
「こういうのって?」
 とぼけてまぜっかえしながらも、ロシュは小さく笑ってアンジェリークの脇に並んだ。
「飛び込んできてくれるかな、ってちょっとは期待してたんだけどな」


(略)


「ロシュ? 眠っているの?」
 敷物の上を歩く、かすかな足音。
 ロシュは目を開けることができなかった。
 弾みそうな息をこらえて、寝息のように深くする。アンジェリークは何も言わず、ロシュの側に立っていた。
「よかった……」
 アンジェリークの冷たい指が頬に触れ、そっと撫でられる。
「……よかった」
 ため息のような声は、少し湿っていた。
「痛かったでしょう」
 アンジェリークの指が、額の傷に移った。
 急に気配が近くなった。
「……」
 柔らかい唇が、ロシュのそれに軽く触れる。
update : 09.06.20
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