「季史さんは、どんなものが好きですか?」
丸いテーブルの向こう側で、季史さんがわからない、という顔をする。
「……どんなもの?」
ほんの少し首をかしげると、窓から差し込む光で赤い髪が柔らかい色になる。
さっき入ったばかりの、昼下がりのカフェ。
この状況で、メニューを持ったまま聞いてるんだから、どういうことを聞いているのかは一目瞭然、だと思うんだけど。
「季史さんは、何にします?」
言い方を変えてみる。これなら間違いようがないでしょう?
季史さんは、ああ、というふうに、手にしたメニューに素直に目を落とす。
しばしの沈黙。
「あかねと、同じものでいい」
……また、それですか。
デートのたびに私と同じもの頼んでませんか、季史さん。
これでもけっこう、季史さんが何を選ぶのかどきどきして待ってたんだけどなぁ。
内心、がっくりと肩を落としながら、自分もメニューに目を通す。
考えるより先に「同じもの」なんて言われてしまったら、やっぱり自分の好みだけでは選べない。
甘いものだって食べたいけれど、同じものが季史さんの前に並ぶのは……どうなんだろう。
似合わないことはないけれど、やっぱり少し気がとがめる。
──甘いもの、好きなのかな?
「じゃあ、キライなものとか、ありますか?」
また少し考えるような目をしてから、ぽつりと一言。
「……別に」
……ああ、もう。
本人に意地悪な気持ちはこれっぽっちもないのはわかっているんだけど、この返事が一番困る。
もうそろそろ冷たいものより温かいものの方がいいかな、と飲み物のページを眺める。
温かいものだけでも、コーヒー、紅茶、ココアにハーブティー、それぞれに幾種類もあって迷ってしまう。
「……じゃあ、紅茶でいいですか?」
季史さんはうん、と頷く。彼は、たまに幼い仕草をする。
「あかねの選ぶものなら、なんでも」
優しい目で微笑んで、季史さんはぱたんとメニューを閉じた。
オーダーを済ませてから、目の前の季史さんをそっと見る。
少し眩しいのか、店内に視線を向けている横顔にどきんとした。
長い睫毛。柔らかそうに見えるのに、すっと締まった耳から顎のライン。
綺麗な人なのはわかっているけど、まだ見慣れるほどじゃなくて。
だって二人でいるのは、向こうで会った分を足しても、時間にしてみればまだそんなに長くはないはず。
だから仕方のないことなのかもしれないけど。
私は、季史さんのことをほとんど知らない。
向こうでも、季史さんの好きな色の紙を知らなくて、戸惑ったように。
この人が何を好きなのか、私は知らない。
どんなものを嫌いなのかも、知らない。
今、私が季史さんを好きなのとは関係ないのはわかってるけれど、ちょっと寂しい。
好きな人のことは、何でも知りたいのに。
……あ、だめだ。
落ち込みかけた気持ちを引っ張り上げる。せっかく二人でいるのに、こんなことを考えてても仕方ない。
「あかね」
気がつけば、真っ直ぐに見つめられていた。
「あ、はい」
慌てて座りなおす。
「前も、あかねは何を頼むか聞いてくれたな」
赤いチェックのテーブルクロスの上で指を組みながら、季史さんが言った。
「覚えてたんですか?」
まさか覚えているとは思わなかった。それとも、今思い出したのかもしれない。
「ああ。今日は、何が好きかと聞かれたので、すぐにはわからなかった」
「そうですか?」
私、そんなにわかりにくい聞き方をしただろうか?
「いや、ちょうどあかねのことを考えていたから」
季史さんの口調はいつもと変わらない。でも、なんだか嫌な予感がする。
「私のこと?」
おそるおそる聞き返してみれば、季史さんはそうだ、と頷いた。
「だからつい、『あかねが』と応えてしまうところだった」
「す、季史さん?」
隣のテーブルを片付けているウェイトレスの手が一瞬止まったのは、気のせいだ、と思いたい。
なんだか今、ものすごく恥ずかしいことを言われているような気がするんですが。
目を合わせていられなくて俯いた。テーブルの上、水の入ったグラスについた露が耐え切れずにつうっ、と流れ落ちる。
なんと答えてよいのか迷っているうちに、紅茶が運ばれてきた。
小さな砂時計を砂が落ちきったところで、白いポットから同じ色のカップに注ぐ。
花の香りにも似た湯気を立てる、赤みの強い紅茶。
助かった、と胸をなでおろしながら、季史さんがシュガーポットからお砂糖をひとさじ、カップに入れるのをぼんやり見ていた。
──確か、この前もお茶を甘くしていたっけ。
「季史さんは、紅茶は甘いほうが好きなんですか?」
「……ああ、甘すぎるのもあまり好きではないが」
「お砂糖は一杯だけ?」
「ああ」
おさじをシュガーポットにゆっくり戻す。
……甘いお茶、好きなんだ。
小さなことだけど、季史さんのことを知ることができたのが嬉しい。
ゆっくりカップを口に運ぶ季史さんが、今はなんだか可愛く見える。
……こんなことで喜んでしまう自分の単純さに笑ってしまいそうになるけれど。
そう。
知らないことがあるってことは、知っていく喜びもあるということで。
彼の真似をして、自分の紅茶も少しだけ甘くした。
かき混ぜるスプーンを止めれば、カップの中、小さな渦はたちまち収まっていく。
これからも、少しずつ季史さんのことを知っていけますように。
そう祈りながら、私はほんのり甘い紅茶を口にした。