隣に聞こえるユリウスの呼吸が深くなった。どうやら眠りに落ちかけているしい。
──私が眠れないでいるのに。
ベッドに入る前に濃い目のコーヒーを飲んだせいか、私はうまく眠りに滑り込めないでいた。
私はもう何度目かわからない寝返りを打って、ユリウスを見る。
彼は穏やかな表情で、すやすやと健やかそうな寝息を立てている。
──ずるい。
なぜか、唐突にそう思ってしまった。
それは、どうしようもないやつあたりだった。
彼が私より眠いのは当然だ。いつだって限界のちょっと向こうくらいまで仕事をしているのだから。
だから、寝かせておいてあげるべきなのだ。
ユリウスは悪くない。
全然悪くない。
まったく悪くない。
悪くないけど、淋しいし憎たらしい。
じりじりするうち、私の口は勝手に動いていた。
「ねえ」
小声で呼んでみる。
一瞬ぴくりと反応があったけれど、返事はない。
頬をつねってみる。
「ねぇ、ユリウス」
「……なんだ」
不機嫌そうな、くぐもった声。
今さら襲った罪悪感を無視して、私は答えた。
「私、眠れないの」
「……そうか、なら起きていろ」
「でも寝たいのよ」
「目をつぶっていればそのうち眠れる」
正論だけど、それは私のほしい答えじゃない。
「羊を、数えてくれたら眠れるかも」
適当に言ってみたのに、本当にそうなるような気がしてきた。
「なんだそれは。私は眠いんだ。自分で数えろ」
「ひどい。ユリウスは私が眠れなくてもかまわないのね?」
自分でも大げさな、と思いながらもすねてみせた。
「そんなことは言ってないだろう」
だんだんユリウスの声がはっきりしてくる。
「わかった。数えてやるから目をつぶれ」
私は急いで目を閉じた。
「一匹、二匹、三匹、四」
「……ちょっと待って」
慌ててさえぎる。
「なんだ。せっかく数えているのに」
「羊が、ってちゃんと言わなくちゃ」
「はぁ? お前も私も羊を数えているとわかっているんだから省略してもいいだろう」
「よくないわ」
「なぜ?」
「愛情はそんな小さな手抜きから崩れていくものだからよ」
「……なんだそれは」
あきれたような声音でユリウスはつぶやいた。
「とにかく、そういうものなの」
自分でも支離滅裂なのはわかっていた。だからもう無理で道理を押さえ込むしかなかった。
「…羊が一匹」
それ以上何を言っても無駄だと思ったのか、ユリウスは改めてきちんと羊を数えだす。
「羊が五匹、羊が六匹」
優しい声にうっとりしながら、私はいい気持ちで目を閉じていた。このまま数えてくれたら本当に眠れそうだ。
「羊が十匹──」
「……ユリウス?」
「なんだ」
「ええと羊は?」
「十匹もいれば十分だろう」
「え?」
「あとは自分でなんとかしろ」
「眠れないから頼んだのに、十匹くらいでなんとかなるわけないじゃないの!」
「じゃあどれぐらい数えればいいんだ?」
「わからないわよ、そんなの」
大声を出しそうになって、我に返った。
私は何をしているんだろう。
こんな憎たらしいことばかり言いたくはなかったし、こんな風にユリウスを困らせたくはなかった。
「どうかしてた。……邪魔をしてごめんなさい。もう寝て? 私も寝るわ」
どれだけ甘えていいか試すようなまねをするなんて、今の私は嫌な女というよりも、嫌な子どもだ。
「……で、気はすんだのか?」
「え?」
自己嫌悪のため息に沈みそうになっていた私を、ユリウスの腕が引き寄せた。
見上げようとしても、頭を胸に押しつけられて動けない。
コットンのパジャマの優しい感触と、ユリウスの匂いが私の言葉を封じ込んだ。
「起きるまでこうしていてやる。だからもうしゃべるな」
規則的な時計の音が頬に伝わってくる。
「……ユリウスの音がする」
「うるさい、さっさと寝ろ。寝なくていいのなら寝かさないぞ」
「じゃあ寝るわ。おやすみなさい」
私はくすくす笑いながら、大人しく目を閉じた。
結局、すっかり甘やかされているのだと幸せな悔しさを感じながら。