そっと、しかしわざとらしくない程度に勢いをつけてドアを開ける。
部屋に足を踏み入れたアルバロを出迎えたのは、深い寝息だった。
予想通り、同室者はもう夢の中だった。
ひとつ手間が省けたことにほっとしながら、音を立てずにマントを脱ぎ捨て、バスルームに向かう。
湿り気とぬくみ、それから石鹸の香りが薄く残る浴室で、アルバロは自分にかけていた目くらましを解いた。
鏡に映った頬には、うっすらと赤いあざが残っていた。
傷跡こそ残っていないがひりひりと痛むのは、ルルの爪で皮膚を破られたせいだ。
女の力とはいえ、全力でつねり上げられたのだ。この程度で済んで幸いだったのかもしれない。
浴槽のふちに腰掛けてブーツを脱ぐと、硬いブーツの爪先でけりまくられたすねはさらにひどいことになっていた。
アルバロは思わず舌打ちした。
──まったく、なんて女だ。
おとなしいなどと感じたことは一度もなかったとはいえ、こんな凶暴で単純な攻撃手段をとるとは思いもよらなかった。
浴室の棚に並んだ魔法薬のガラス容器から緑色のを選び、指先にとって薄く伸ばす。一瞬切られるような鋭い痛みが頬を走ったが、傷跡は嘘のように消えた。
きっと明日にはなんともなくなるだろう。
そのまますねに伸ばした指先がふとためらい、アルバロは眉をしかめた。
どうして、惜しいなどと思っているのだろう。
痛みはやはり癖になる。
改めて薬を塗りこむ。あざは濃いものも薄いものも一様に肌の色で塗りつぶされていくのをどこか遠い気持ちで見ていた。
何もかも元通りにしてから、服を脱ぎ捨てる。
アルバロは不意に笑い出しそうになった。
底が読めたと思ったとたん、全部ご破算にしてフラットにされた。
おそろしく単純だがいつだって予測できない。
ただ、これで勝ったと思われてもしゃくにさわる。
彼女の望む感情など、くれてやる気はない。
一瞬で満ちた湯に体を沈め、浮力に任せて体の力を抜いた。
バカはバカだが、少しだけ痛快だったのも事実だ。
バカの言うことを聞く気はさらさらないが、しばらくは調子に乗らせておくのもいいかもしれない。
そのほうがきっと、面白くなる。
胸にわだかまるざわめきは、きっと期待だ。
「他に何が?」
何もない。あるはずもない。
湯気に溶けて消えた呟きを、アルバロはいつまでも聞いていた。