「私の気持ちはわかっていただけましたか?」
長いキスの後、公瑾さんのささやきが聞こえた。
「わかった、ような気がします」
ぼうっとしたままなんとか答える。
片思いのまま別れるつもりでいたのに、あっという間に両想いになって、帰らないことを決めて、キスされて。
今も公瑾さんの腕の中にいる。
全てにまだ呆然としてしまっていて、本当のことなのか自分でもよくわからない。
でも、その返事が気にくわなかったのか、公瑾さんはほう、と眉をあげた。
「ような気がする、ですか」
「はい」
「では、きちんとわかっていただかなくてはなりませんね」
頬に手をそえられて、私はやっと我に返った。
「いえ、いいです。わかりました、すごくよくわかりました!」
「そうですか? ……残念です」
さっきまで取り乱していたはずの公瑾さんは、もういつもの余裕のある微笑みを浮かべている。
「きゃ」
抱きしめられていた力が緩んだとたん、体が浮いた。膝がふにゃふにゃして、力が入らない。
公瑾さんが両脇をすくいあげるように支えてくれなければきっと床にへたり込んでしまっていただろう。
「すみません」
恥ずかしくて、公瑾さんの顔が見られない。
「いえ、私のせいでしたら光栄なことなのですが」
その声がなんだかほんのり嬉しそうに聞こえたような気がした。
「公瑾さんの、せいだ、と思います」
「では私が責任を取ってさしあげなければ」
膝の裏に腕を回され、すっと抱き上げられる。
顔が、近い。
「あ、あの」
あやふやな抗議が形をなす前に、椅子に優しく下ろされる。
「こんなことしたら、傷が」
遅れた言葉に、公瑾さんはかすかに目元をなごませた。
「これくらい、たいしたことではありませんよ。それより」
指先が唇に軽く触れた。
「静かに」
わけがわからないまま頷いた私は、公瑾さんを目で追った。
公瑾さんが戸を一気に開け放つと、蝶番のきしみに一拍遅れて、甲高い悲鳴が重なって聞こえた。
「きゃー!」
「うわー!」
「たぶんこういうことだとは思っていましたが。──大喬殿小喬殿だけでなく尚香様、あなたまでおいでになるとは」
公瑾さんの声にはため息が混じっていた。
もしかして、さっきのやりとりは三人に──。
そこまで考えて、私はいたたまれない気持ちになった。
三人の姿が見られない位置でよかった。この真っ赤な顔を見られたりしたら、きっとものすごくからかわれるに違いない。
「ご、ごめんなさい公瑾。でも」
「しょうがないじゃん。だって公瑾、こうでもしないと黙って行かせちゃってたでしょ?」
「そうだよ。花だって黙って帰っちゃうだろうしねー」
「そうそう、そうだよー! 私たちのおかげだよー。感謝してよね!」
まくし立てられた公瑾さんの背中がこわばって見えたのは、気のせいじゃないと思う。
「……そうですね。私たちは多分、あなたがたにありがとうございますと申し上げるべきかもしれませんね」
「べきだよ!」
「だよねー」
大喬さんと小喬さんが口々に得意そうな声を上げる。
「では、感謝の気持ちはのちほどゆっくり差し上げましょう。──ですが、今は多忙です。どうぞお引取りください」
なごやかで丁寧だけど、感情のまったくこもっていない公瑾さんの言葉に、
「多忙って、なんで忙しいの? ねえ、なんで?」
大喬さん(だと思う)が負けずに食い下がった。
「色々、ですよ」
「公瑾のけちー」
「仲謀よりけちんぼだー」
「ところで」
二人にけなされても、公瑾さんは調子を変えない。
「小喬殿にお聞きしたいのですが、私に起きた大変なことというのはいったい」
「え? なんのこと?」
小喬さんのあからさまにとぼけっぷりに、私は思わず笑い出しそうになった。
「大喬殿、小喬殿。もう行きましょう」
「えー」
「やだよー」
尚香さんが出してくれた助け舟に、二人は少し不満そうだったが、すぐに気を取り直したらしい。
「ま、いいか。後で花から聞こう」
「だね。公瑾から聞くより面白いかも。じゃ、また来るね。──後で聞くからね!」
最後の大声は、部屋の中の私へのものだった。
「ええ、お待ちしていますよ」
ばたばたと遠ざかっていく足音を見送った公瑾さんはふうっと息を吐いてから、がつん、と音を立てて思い切り戸を閉めた。その勢いのまま振り返ったのに、私と目が会うと困ったように眉を下げて笑った。
「……今なんだか怖いことを聞いた気がします」
「頑張ってください。では」
公瑾さんはその笑顔のまま、座っている私と目線が合うところまで身をかがめた。
「早速行かなくては。もう立てますか?」
「行くって、どこにですか?」
思わず、質問に質問で返してしまう。
「まず、玄徳殿にあなたが帰らないということを伝えなくてはなりませんし、仲謀様にもご報告して」
なんだかいきなり現実に飛躍した話に、私は一瞬ついていけなかった。
でも、確かに急がなくては。玄徳さんたちはもうすぐ帰るのだから。
「そうですね、ちゃんと挨拶もしないと」
ここに残る、と言ったらみんなどれほどびっくりするだろう。その上、相手が公瑾さんだなんて言ったら、芙蓉姫には怒られるどころか正気を疑われてしまうかもしれない。
「それに、私が参っただけでは疑われてしまうかもしれません。私があなたをはかりごとにかけたのか、ですとか」
公瑾さんは私の考えが見えているように微笑んだ。
差し出された手につかまって、私は椅子から立ち上がった。
なのに、公瑾さんは私を見つめたまま動こうとしない。
「公瑾さん?」
急に静かになった気がして、落ち着かない。公瑾さんに握られたままの指が急に気になってくる。
間近に見る公瑾さんは冷たいほど綺麗なのに、鋭くて熱い瞳に射抜かれてしまって私も動けなくなった。
「もう一度だけ、聞かせていただけませんか? あなたはもう、どこにも帰らないと」
向けられたのは、かすれた声とかすかにすがるような視線。
どこにも、と言うのはきっと、元の世界にも、玄徳さんのところにも、と言うことなのだろう、と私は理解した。
「はい。私は公瑾さんと一緒にいます。ずっとずっと、一緒にいます」
そう言うと、公瑾さんの体から力が抜けたのがわかった。
「だって放っておけませんから」
「あなたこそ、ですよ」
優しい香の香りと公瑾さんの温度が私をふわりと包みこんだ。