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little bird(後)
「……こういうのって、あまりよくないってわかってるんです」
 歩き出してしばらくしたとき、アンジェリークはぽつんと言った。いっぺんに暮れ始めた薄ら闇の下、俯いた顔の表情は読めない。
「学院の先生に聞きました。巣から落ちるのも、その子の運命だって。そうやって生きていけないとしても、それは野生の生き物の運命の一つだって」
 落ちてももしかすれば生きていけるかもしれない。触れない、という選択が一番いいのだ、と。
「でも、放っておけなかったんです。自分では何もできないのに」
「いいんじゃないかな」
 さらに言い募り、沈み込みそうな言葉尻に割り込むようにベルナールは言った。
「そこまで考えているんだろう? 町中のヒナを拾ってるわけじゃない。無責任な言い方かもしれないけど、一件くらいは大丈夫なんじゃないかなあ」
 驚いたように軽く目を瞠ったアンジェリークに、袖触りあうも他生の縁、って言うんだし、ね? とベルナールは笑ってみせた。こういうところも変わらないな、と内心では苦笑しながら。



 小さなアンジェリークは、口許に差し出されたスプーンを早くも涙のにじんできた目で見た。
「大丈夫だから、口を開けて?」
 促すと、おずおずと口を開けスプーンを含む。
キッチンのテーブルにつき、子ども用の椅子にちょこんと座ったアンジェリークの顔色はひどく青ざめ、スプーンを持つ手を押しとどめるように触れた指は冷たい。それもこれも、彼女が最近ろくにものを食べていないからだった。
「大丈夫だろう?」
 泣き出しそうな顔で頷くが、口は動いていない。うまくのどに入らないらしく、飲み込もうと苦労しているのがわかる。パン粥の優しい味もあまり効果がないらしい。
 事の発端は、煙突掃除だった。
 冬が近づき、暖炉に火を入れるために煙突掃除人を頼んだのだ。ところが一番大きな煙突に鳥が巣を作っていた。もはやヒナを育てる時期は過ぎていたため、ほぼ空いた状態だったが取り壊され、のけられた。しかし、それを見てしまったアンジェリークはなぜか大泣きに泣き出した。なんとか宥めて泣き止ませたものの、それからしばらくは、鳥が飛んでいないかと何時間でも屋根の上を眺めているようになった。口に出しては、ほんの一度だけ、たまりかねたようにあれは本当に鳥のいない巣であったのか、と訊ねたほかには何も言わなかったが。そしてだんだんと食が細くなり、憔悴していった。機嫌を取るようなこと、と父は嫌がったが、ベルナールはそんなアンジェリークをとても放ってはおけなかった。
 ゆっくりと、ひとさじずつ。時折吐きそうになりながらも涙目で飲み下す。途中であまりにかわいそうになり、手を止めた。
「よく頑張ったね」
 片付けながらほめると、アンジェリークは顔をくしゃくしゃにしてベルナールにしがみついてきた。
「ごめんなさい」
 とうとう本式に泣き出した小さな女の子を、ベルナールはぎゅっと抱きしめた。
「あんまり心配させないでおくれ、小さいアンジェ」
 小さな心が何を感じたのかはわからないけれど、
そこまで思いつめるだけの何かがあったのだろう。アンジェリークもわかってはいるのだ。煙突を掃除しなければ凍えてしまうことも、今は使われていない巣なら取り除けられてしまっても仕方がないことも。そして巣を残しておいて欲しいと頼むことが、預かってもらっている自分にはわがまますぎるということも。
 そのときの幼い子どもが、今や自分の妻になって隣を歩いている。思ったよりも美しく、大人らしくなって、ふと遠く思えるときもある。。
 だから、今日のように幼い日を思い出させるようなことがあると、これは本当にあのアンジェなのだとほんのり嬉しいような気分になることも確かだ。
「明日の朝は、パン粥にしようか」
 思いついたように言うと
「ベルナールさん、どこか悪いんですか?」
 少し心配そうにアンジェリークが見上げてきた。
「いや、ちょっと食べたくなってさ」
「じゃあ、パン屋さんによって帰りましょう?」
 早くしないと閉まっちゃいますよ、とつないだ手をひかれて、ベルナールは足を早めた。


(了)
update : 06.08.25
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