騎士団寮のロビーには、幾人かの騎士が集まっていた。
アンジェリークと教団長の姿を認めた彼らがつとひざまずくと、緑色の大きな包みが騎士たちの中央に置かれているのが見えた。
「あれは……?」
ぽつんと置かれたそれに胸騒ぎを感じて、アンジェリークは傍らのディオンを見上げた。彼は一瞬痛ましげな顔を見せて、静かに答えた。
「騎士が一人、事故で亡くなりました」
「そう、だったんですか」
包みは、騎士団の旗に覆われた棺だった。
「事故って……?」
「ええ。作業中の村人の上に落石があり、それをかばってのことだそうです。私どもは彼に別れを告げに参ったのです。これから棺を開けますので、女王陛下におかれましては……」
途切れた言葉を聞かなくても、婉曲にこの場を立ち去ることを求められているのはわかった。
急に自分が場違いなところにいるようにも感じて、踵を返す。
もう命のないものに、自分ができることは何もない。
それなのに、不意に胸がきしんだ。
「私も、お別れをしてもいいですか?」
「しかし……」
あまり歓迎しない様子で、ディオンは口を濁す。そこにそっと割って入ったのは教団長だった。
「女王陛下、ほんとうによろしいのですか?」
教団長の問いに、軽くうなずいたアンジェリークは棺のそばに膝をついた。
棺の中に横たわった騎士の青ざめた顔に視線を落とす。清められた顔に苦しみの色はなく、ただ静かに眠っているようにも見えた。
でも、怖かった。
「騎士としては本望なのです。誰かを助けられたのであれば」
ディオンが、力づけるように言う。
「私が行ってくださいとお願いしなければ……」
「もしこの者がその場に居合わせなければ、村人が亡くなっていたでしょう。女王陛下の宇宙の民を守っての死は、無駄ではありません」
悔やまれてはなりません、とルネのささやきが聞こえた。
でも、と顔を上げかけたアンジェリークはそれ以上何も言えないまま、また棺に目を戻し、なきがらの冷え切った手にそっと触れた。
誰も自分を責めはしない。
けれど、何よりも自分が一番良くわかっていた。
「ありがとう……どうぞ安らかに」
しばしの沈黙の後、アンジェリークは騎士の魂が安らかであるように、と祈った。
ほんとうは謝りたかった。しかし、それを声に出すことは許されないような気がした。
ひんやりとほの暗い廊下に、こつこつと靴音が響く。
彼女は何も言わず、淡々と歩をすすめている。背筋こそ伸びてはいるものの、肩が落ちているのが後ろ姿からでもわかった。
その一歩後ろを歩きながら、仮面の下できつく唇をかみしめる。
怒っていた。
彼女の顔から血の気がひいていくのを隣で見ていたくせに、すぐに何もできなかった自分に腹がたった。
あの場所でアンジェリークの感じたことなど、わかりすぎるほどわかっていたのに。
自分は、何もしなかった。
できなかった。
「顔色が悪いよ、大丈夫?」
居室に着くなり、青い顔をしているアンジェリークをソファに座らせて、指先を彼女の額にかざす。
祈りとともに、癒しの光が指にまつわり始める。
「大丈夫です。ありがとうございます」
気丈な言葉とはうらはらに、彼女はさからわず瞳を閉じ、ぐったりとソファの背に背中を預けた。
ほのかな光が震えるまぶたをなでて、きらきらと散っていく。
自分の祈りなど何ほどでもないが、少しでも彼女を癒したかった。
「……キミを止めるべきだったね、ごめん」
「いいえ。お別れができて、よかったです」
アンジェリークは目をつむったままそっとかぶりを振った。
部屋の暖かさと癒しの力が効いてきたのだろうか、雰囲気がわずかに和らいでいる。
「そう。……じゃあ、ボクはもう行くね」
ルネはアンジェリークにに背を向けた。
こんな状態の彼女を置いていくのは心苦しい。けれど、ともすれば自分の方が耐えられなくなりそうだった。
「待ってください」
引かれた袖の重さに顔を振り戻せば、アンジェリークが強い視線でこちらを見上げていた。
まだ血の気の戻りきらない顔の中、緑の瞳だけがくっきりと際立って光っている。
「ルネさんは、私が聖地に行ったほうがいいと思っているんですね?」
それは質問ではなく、確認だった。
「……そうだよ」
「私が、辛そうに見えるからですか? それとも、私が聖地にいたほうがいいからですか?」
「アンジェリーク」
両方とも正解で、両方とも間違いだ。
けれど、それをどう伝えて良いかわからない。
「私は、ここにいないほうがいいんでしょうか?」
少し強さを失った声。
ルネは何も言わなかった。
そうだ、とは言えなかった──言いたく、なかった。
自分が何も口にしなくとも、彼女はもう決めてしまったのだと思った。
彼女は迷うように足元に目をやり、それからもう一度目を上げる。
息が止まった。
決定的な瞬間を引きのばしたくて、口を開こうとしたとき。
「やっぱり私、ここにいます。ここにいて、祈り続けます」
何を言われたのか、一瞬理解できなかった。
言い放ったアンジェリークは、青ざめた唇をきゅっとひきしめている。
「……どうして?」
詰めていた息が抜けて、うまく返事できない。
「どうしても、です」
どうしてこう聞き分けがないんだろう、キミは。
さっきまでの悩みは、何も解決していないというのに。
どうしていつも、辛い道を自分から選んでしまうんだろう。
どうしていつも
「キミが女王になったのは、キミがそう選んだからかもしれない。でも、聖地に行けば」
「ルネさんが言ったみたいに、女王でいることが楽になるのかもしれません。でも私はまだ、ここにいたいんです」
まだ、間に合う。そんな思いで言った言葉もきっぱりとはねかえされる。
言うことは他にもあった。
ここにいるべきでない理由だって、いくらでも言えたはずだった。
でも、喉が詰まったようで、もう何も答えられない。
ルネはただただアンジェリークを見つめ返した。
「私、考えてばかりいて、大事なことを忘れていました。確かに、目の前に見えることばかりにとらわれてはいけないのはわかっています。でも、ここにいて近くで見なければならないものも、まだたくさんあると思うんです。」
胸元で手を組んだアンジェリークの背に、光の翼が波打つように現れ、花が開くようにゆるゆると広がっていく。
光をまとったアンジェリークは、黙ったままのルネに訴えるように言った。
「まだ女王の仕事ができるかなんてわかりません。もしかしたら、もしかしたらうまくいかないかもしれません。……でも」
一瞬言いよどんで、アンジェリークはこちらに手を差し伸べた。
「できるかもしれないなら、やりたいんです」
伸ばされた手に触れる。アンジェリークの指先が、すがるようにルネの手を捕らえた。
「私、今いるところから離れたくありません」
瞳に溜まった涙が、金色の光を映して揺れている。
「──辛くても?」
「辛くても」
大丈夫です、と言い切って
「ルネさんがいてくれるなら」
これは私のワガママですけどね、と小さく笑ってみせた彼女の頬に、留まりきれない涙がつ、と伝った。
「呆れちゃいました?」
泣き笑いの顔で、アンジェリークが尋ねてくる。
「……うん、呆れた、かも」
本当は呆れてなんかいない。
呆れるはずなんてない。
「それでも、一緒にいてくれますか?」
自分からは言えなかった言葉。
結局いつも、アンジェリークに与えられてばかりだ。
──でも、これからは。
「……しようがないね、キミは」
胸の中に引き込んで、きつく抱きしめる。
「ずっと一緒にいてあげる。……だから」
そっと続けた囁きに、アンジェリークは花のように微笑んだ。