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ありか


 やめたければ、やめればいい。
 それがさも簡単なことのように口に出した彼を、アンジェリークは呆然と見た。
 
 女王をやめる。
 今さら、そんなこと。  

「オーブハンターになる前とまったく同じ生活はできないだろうけど、それでもきっとキミは」
「ルネさん!」
 強くさえぎったくせに、続く言葉が出てこない。
「だって、現にキミは辛い思いをしてるんでしょう。……キミを苦しめているのは、何?」
 答えは、おしとめる間もなくすぐに浮かんだ。
 
 世界中が自分に何かを望んでいるような気がすること。
 そして自分の力を信じることができないこと。
 
「もしキミが女王であることで不幸せだと感じたり、辛いと思うなら」
 手を包む力が痛いほど強まる。 
「アルカディアも、それからボクも幸せじゃない」
「ルネさん……」
「もしキミが、女王という役割に縛られているように感じたり、いつか呪わしく思うようなことになってもキミは祈ることができる? その祈りでこの世界は幸せになれると思うの?」
 覗きこむ視線の問いに答えられなくて、アンジェリークは目を伏せた。
「……ごめんなさい。でももう、やめてください」 
 オーブハンターでいる間も、自問自答し続けてきた。
 この世界を愛し続けることができるのか、ひたすら信じ、祈り続けることができるのか。
 陽だまり邸の仲間はもちろん、たくさんの人に支えられ、自分にはできると信じたからこそ、女王になると決めたのに。
「私はみなさんが幸せでいられるお手伝いがするのを嫌だと思ったことはありません。それに、女王になってもルネさんとここに一緒にいられることにも感謝しています」
「そう」
「……ただ、いろんな方に支えていただいているのに、今は本当に女王の役割を果たせているのかわからなくて」
「それもボクのせいだろうね」
 低くかすれた声で、ルネが呟いた。うつむいた頬にプラチナブロンドの髪がさらさらとこぼれ落ちる。
「え?」
 言われていることがわからない。どうして自分の力不足が彼のせいになるのだろう。
「もしキミが聖地にいたら、キミの祈りがどんなに素晴らしいものなのかは、すぐにわかったはずだよ。聖地はこことは時間の流れが違うから。祈っても祈っても何も変わらないと思えるなら、それはキミがここで、ボクと同じ時間を生きているせいなんだ」
「だって」
 握りあった手から伝わるルネの震えが、アンジェリークの言葉を奪う。
「そう、ボクは聖地には行けない。だからキミはここに戻ってきてくれた。……でもそれがキミを辛くしたなら」
「そうじゃありません。そんなこと、言わないでください」
 アンジェリークは手を振り払った。それ以上は聞きたくなかった。

 それでもなお、ルネが言葉を継ごうとしたとき、ドアが静かにノックされた。
「失礼します。教団長様はこちらにおいででしょうか」
 ドア越しの問いかけに、ルネはマスクに手をのばす。
「騎士団長か。ああ、ここにいる」
 ドアを開けたディオンは、部屋に漂う不穏な空気に気がついていないわけでもないだろうに、眉一つ動かさない。
 女王陛下もこちらにおいででしたか、と丁寧に辞儀をしてから、ルネに向き直った。
「教団長様……」
 この場では言いにくい話題なのだろうか。歯切れの悪いディオンに、ルネはすっと腰を上げる。
「そちらで聞く」
 ドアの側でのささやきは、アンジェリークの目にも、いつもの雰囲気ではないように見えた。
 ぼんやりと見つめるアンジェリークの視線の先で、ルネがふとこちらを振り返った。
「申し訳ありません、女王陛下。私はこれから行かねばならぬところができました」
 もう見慣れたはずの教団長としての顔が、なぜかいつもより遠く感じて──
「私も行きます」
 思わず、アンジェリークは立ち上がってしまっていた。


update : 08.05.30
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