「この規則は、教団長を守るため、ひいては教団と騎士団を守るためにできたものなんだ」
「守るためですか? だって」
「そうだね。セレスティザムの壁の中にいれば、ボクは騎士たちや教団員に守られている。傷つけられることはまずありえない」
こういう言い方はなんだか自分が弱いと認めるようで好きではないが、まぎれもない事実だ。そもそも外敵があれば、教団長とすぐにわかるこの外見は逆効果にもなりうる。
「じゃあ、何から守るんですか?」
「教団の中にいる敵から、かな」
アンジェリークが小さく息を呑んだ。
「……でも、教団長にもし何かあったとしても、誰でも教団長になれるわけじゃないんでしょう?」
前の教団長と変わらない、驚異的な記憶力。それが最低限度の条件になる。しかも、それは宇宙意思のなせるわざなのか、一世代に一人、それ以上は見つけることができないし、欠けることもない。そう聞いていた。
「そう。なりたくてなれるものじゃない。でも、大人が幼い子どもに力で言うことをきかせることはできるよね」
「そんなことって……」
「あったんだ」
幼い教団長を傀儡にすれば、教団の権力は意のままになる。
はるか昔、今よりももっと強力だった教団が弱体化したのはそんな政争が一因でもあった。
「だから、教団長の姿は秘められているし、教団長の死や交代も公表されないんだ」
弱みを見せれば、たちまち教団は食い荒らされてしまう。外からも、中からも。
「ボクは仮面をつけているけど、仮面をつけているからといってそれがボクとは限らない。……わかるかな?」
「中身がルネさんではないこともあるってことですよね」
もし知識の伝授は済んでいても、表に出すにはあまりに幼い場合、教団長の代わりを誰かが務める必要もある。
体格や声などから、違っていると確信しても、教団長に面と向かって尋ねるものもない。
「今はそういう心配はないんでしょう?」
「……ないんじゃないかな」
つい慎重な答え方をしてしまってから、ほぞをかむ。これではアンジェリークを納得させられはしないだろう。見やると案の定、彼女は難しい顔をしている。
「仮面をつけているときにボクが言うことは、ルネの言葉じゃなくて教団長の言葉になる。それは教団の意思だ。だから、個人としての顔はあまり見せたくないっていうのもあるかな」
初めて仮面をつけた日の、寂しくそれでいて誇らかな気分を思い出しながらルネは言った。
「ルネさんはそんなことを、ずっと一人でなさっているんですね」
「そうだよ。教団員の助けはあるけど。でも最後に判断するのはボクだ」
「辛く、ありませんか?」
「さぁ? 慣れているから」
自分の答えがひどくなげやりに聞こえた。
まったく辛くない、と言ってしまえればよかったのに、そこまで嘘はつけなかった。
辛くとも、教団長としての誇りと、自分以外にはこの役割は果たせないという事実が自分を支えてくれていた。少なくとも今までのところは。
「女王がいても、教団はこんなふうに続けていかないといけないんですか?」
アンジェリークがぽつりと呟く。うつむいた彼女は、なんだかまた泣き出しそうにも見えた。
「……ボクは必要だと思ってるよ」
「だって……だって、どこへだって行けるようになったように、教団が変われば、ルネさんもこんな不自由な生活もしないで済むかもしれませんよね?」
ルネは黙ったまま、カップを口に運んだ。すでに冷めてしまったお茶が、素直に喉に落ちていかずむせそうになる。
ルネも実際、教団を再編することを一度も考えなかったわけではなかった。女王が来臨した今、教団の一番大きな役割は終わったのだから。
「ここに来なければ、ご家族と離れ離れになることもなかったはずです」
アンジェリークはうっすら涙目になっていた。
「ちょっと待って。キミは先走りすぎる」
ルネはさらに言いつのろうとする彼女を首を振って制した。
「教団のことは、ボクや騎士たちだけの問題じゃないんだ。今ここで働いている人たちのこともあるし、女王や教団を信じてここに来てくれる人もいる。すぐになくしてしまったら、いろいろと困るんじゃないかな」
「……そうですね」
考えていなかった、という顔でアンジェリークはあやふやに口をつぐんだ。
自分のことを思って涙してくれる彼女の気持ちは嬉しい。
けれど、涙の理由は多分それだけではないことが心にひっかかっていた。
女王としてどうするべきなのか迷っている彼女にとって、目の前にある、ルネと教団の問題は自分の現在と少し重なる、飛びつきやすい問題だろう。
だがこれは、「かわいそう」という感情になじむ事柄でも、そうしていい事柄でもない。
教団の持つ知識は、悪用しようと思えば悪用できるものも多い。教団を解散するとなれば、それらを公表することも視野に入れなくてはならないが、世界の状況を考えれば、全てを明らかにするのは今はまだ危険すぎる。
そうは言っても、女王陛下に公に解散を命じられたら教団は抗えはしないのだが。
だがそのことは彼女にはまだ伏せておいたほうがいいだろう。
「教団長でいることが嫌だったこともあるけど……」
アンジェリークの小さな手を、手袋ごしにゆるく包んで、ルネは続けた。
「ボクは今、不幸だとは思ってないし、銀樹騎士たちだってきっとそうだと思うよ。困ってる人を今すぐ助けたいっていうキミの気持ちはわかるけど、もっとゆっくり考えてからでもいいんじゃない? 別に今どうにかしなくても、人間や自然が自力で解決できること、時間が解決してくれることもあることは、キミもわかるよね」
ずるい答え方かもしれない。けれど、これ以上はこの話を続けたくなかった。
恋人としては、もはや変えようのない過去の話で彼女を悲しませたくない。
教団長としては、物事をわかりやすい方向からしか見ない現在の彼女に判断を任せるのは怖くもある。
「教団もいつかはいらなくなるのかもしれない。でも、ボクは今、教団長でいられたことに感謝しているんだ。でないとキミとこうして会えなかったんだし、ね?」
本心からの言葉だった。以前は呪わしかった力でさえ、彼女の力になれる今となっては恩寵にも感じられる。待ち続けた時間がそのための代償だとしたら安すぎると思えるほど。
けれど、アンジェリークが地上にいることは。
「……きっとキミは、ここにいることが辛いんだね」
アンジェリークの目が見開かれる。
「え?」
「辛ければ、どこにだって行っていい。女王をやめたければ、やめてもいいんだよ、アンジェリーク」